ありふれた世の中に

ジャニヲタな女子大生。

関ジャニ∞に青春を捧げた私の思い出を振り返る話。

 

 

いろんな人のブログに感化されて久々に更新します。

14歳から24歳になった今も元気に関ジャニ∞のファンをしているわたしです。

 

2019年9月に同じようなことしてたので、それに追記しています。過去のわたしの文章幼すぎる。

嵐ファンの時のことから書いてるので長いです。

 

 

 

 

2009年

嵐が10周年のとき、TVで見た嵐の宿題くんSPで嵐ファンになった。

それまでは音楽会で嵐のHappinessをやるのに「え〜ジャニーズ??」と生意気なことを言っていた。

ここから私のオタク人生がスタートした。

櫻井担になった私はクイズショウをTSUTAYAで借りて見たのだが、横山さんを初めて認識したのがここなので、第一印象が「めっちゃ泣く人」になっていた。

 

 

2010年

嵐のドラマ「最後の約束」が大好きだった小学5年生の私。当時、ツイッターなどやってなかったので、Johnnys webが全てであり、週末に使えるPCで嵐のことを把握していた。

ひみつの嵐ちゃんマネキンファイブ関ジャニ∞さんがゲストで出る。ここではじめて関ジャニ∞のバラエティをちゃんと見る。これまでも嵐のバーターとしてドラマに出ていたのを見ていたのでなんとなくは知っていた。

 

 

2011年

嵐担として、運動会で放送係になったことで嵐の曲を流しまくるという職権濫用をしていた小学校6年生。わたしは塾に通っており、帰りの車では毎回、5×10のPIKA⭐︎NCHIから流していた。多分送り迎えしていた父親は飽きていたと思う。

嵐にしやがれ関ジャニ∞が出る。24時間テレビの宣伝で。とにかくにぎやかな人たちという印象しかなかった。私は嵐が他のグループと絡むのが好きだったので嬉しかった。

このときぐらいにTOREなどいろんな番組に関ジャニ∞が出ていて見る機会がとても増えた。

そして、中学受験に合格したのをきっかけに嵐のファンクラブに入る。卒業制作で作ったオルゴール、なぜか嵐は「明日の記憶」しかなかった。

 

 

2012年

私立中に行くことになりたくさんの人に出会った。ジャニオタのプロの嵐ファンにも出会い、そこで初めてジャニショの写真というものを知った。セクゾのファンの子とも仲良くなり、めちゃくちゃセクゾに詳しくなる。デビュー付近の曲は歌えるし踊れるようになっていた。

 

嵐ファンを極めまくってたわたしにこの年、変化が起こる。

まず、パパドル。ジャニーズに全く興味のなかった母親がパパドルにハマって毎週見るようになった。1話に翔くんが出るのに録画して見ていたら、母親がハマった。

次にエイトレンジャー。関ジャニ∞がコンサートでエイトレンジャーをやってたことは知っていた。たまたま聴いた主題歌のERがめちゃめちゃ好きで、関ジャニ∞が好きだった人にiPodを借りて聴かせてもらってた。

8周年でめちゃめちゃ売り出された時期なのですごく見た。ベスア(?)の企画だったカヴァコラとかも見ていた。

 

 

2013年

中学2年、嵐しか勝たん!状態だったわたしが揺れ始める。

ZIPで関ジャニ∞を見た、またもや母親が友達から8ESTを借りてくる。そこから怒涛のようにアルバムやらなんやらを借りてくる。嵐のDVDでさえ母親は見なかったのに、急に家が関ジャニ∞しか流れないことになる。母が入院してた時も、わざわざイヤホンをつけてまで関ジャニ∞ほんまでっかTVを見たらしい。

そして8ESTを見たわたしは関ジャニ∞が気になりはじめていた。プリ画像というサイトで関ジャニ∞の写真を保存しまくり、関ジャニ∞のことを調べた。ジュクボのレポも調べて、男気対決の結果はプリ画像で知った。

私が最初に追ってたのは錦戸くんだった。そこからなぜ、すばるくん(というかその時はやすば)になったのかいまいち覚えてない…

そして、この年にツイッターを始める。わたしの学校ではツイッター禁止が噂されていたが、オタ垢はさすがにバレんやろと始めた。最初は櫻井担とやすば担としてはじめ、赤と青のアイコンだった。

 

 

2014年

受験のなかった中学3年生。セクゾ担の友達は安井くんにも詳しくなっており、おかげで急に安井くんだけ詳しくなった。ガムシャラの動画もめちゃくちゃ見せられた。あと、WESTがデビューした時に友達に「誰が好き!?」と聞かれたが、重岡くんのことしか知らなくて「シゲかな〜」と言った。後々にDVDも貸してくれた。(優しい)

 

お正月、お年玉で関ジャニ∞のファンクラブに入った。当時はまだ振り込み用紙にいろいろ書くタイプで、「∞」と「渋」の文字がうまく書けなかった。(振り込み用紙に推しの名前書くの今考えると恥ずかしい)

次第に関ジャニ∞の比率が大きくなり、嵐ファンの同級生に「ごめん、関ジャニ∞のファンになった」と宣言をした。

2014年は10周年ということもあり、とても忙しかった。

3連続CDリリースで初めて関ジャニ∞のCDをフラゲで購入し、「関ジャニ∞の会」という本人たちが覚えているかわからないものに応募した。もちろん、当たるわけがなかった。

エイトレンジャー2で初めて関ジャニ∞にお金を注ぎ込んだ。最初ポスターが解禁された時、レッドだけがこっちを向いてて、「レッドが主役だ!!」となったときから大変だった。セブンのくじも頑張った。アプリか何かで頑張ってパワーを貯めたら、その映画館に関ジャニ∞がきます!っていう企画があって地元の映画館のパワーをめっちゃ貯めた。(もちろん関ジャニ∞は来てない。)

十祭には行かなかった。でも、ユニットシャッフルが気になりすぎて、ツイッターで検索しまくった。「kicyuはよこやすのものだろ!」とキレてる安田担を見た。

そんなわたしは、関ジャニズムが初めてのコンサート。親戚がコンサートに行こう!と言ってくれたので申し込んだ。田舎から高速バスで大阪に、在来線を乗り継いで名古屋へ。12月27日のナゴヤドーム。席は近いとは言えなかったけど、全てが新鮮でとても感動した。MCがはじまったとき、DVDで見たやつ〜!ってなった。アイスクリームのヤスくんを見た時、「ちいさい!」と思った。アダイヴのモニターの映像すごかったけど、残らなかった。

 

すばる担的には、味園ユニバース。6月に情報解禁された時は死ぬほど嬉しかった。コンビニで雑誌買いまくって、学校で先生に「競馬やるんかと思った」と言われた。

地元では公開日にやらなかったので、わざわざ大阪高槻まで行って映画を観た。

 

 

2015年

高校生に上がり、またオタクの友達が増えた。風磨担である。

関ジャニ∞としては、関ジャムとクロニクルそしてサタプラ、大倉くんと高橋くんがはじまった。期待しかないレギュラーが嬉しかった。

当たるわけないだろって思ってたリサイタルはほんとうに当たらなかった。でもグッズ買いに神戸まで行った。マジバンを買うためにすごく並んだ。

すばるくんの髪がだんだん伸びていくことが嬉しかった。

 

 

2016年

高2になり来年受験だから今年は関ジャニ∞にたくさん会いたいと思っていた2016年。プロの嵐担はこのときSnowManにハマっていた。「スバラジで言ってた渡辺くんってこの人だよ!」と教えてもらった。

 

15→16のカウコン。ひっさびさに出ると思ったら、見たい2ショットとか聴きたい曲アンケートあって、私は滝すばとLIFEに投票。そしたらまさかの第1位がすばるくんとタッキー。めちゃくちゃ嬉しかった。

元気が出るLIVE。福岡。1月2日。

部活があって福岡しか申し込めなかったのだが、お正月だし福岡だしでめちゃくちゃ怒られた。

はじめてのアリーナ席で浮かれてた。

オーラスの日、私は部活のコンテストの県大会があって、結果発表前に、大倉くんが不在なことを知って気が気じゃなかった。

夏前の関ジャムですばるくんがパッツンになった。(歓喜)

そして2回目のリサイタル。地元近くを申し込んだら当たった。土曜の学校終わりに高速で会場に向かった。しかも死ぬほど近かった。

 

 

2017年

受験生の年。オタク控えめに。

友達の風磨担は那須くんのファンになっていたため、これまた急に那須くんにだけめっちゃ詳しくなった。

 

エイタメの大阪公演。はじめての天井席。でもセンターステージだったから近かったように感じた。オーラスの時、夏にアルバムとツアーやるって発表され、受験で行けないことがわかってたのでめっちゃ泣いた。

でも、受験生なのにメトロック大阪に行った。関ジャニ∞なのに大阪じゃないのかいと思いながら。関ジャニ∞がフェスに出るのがめっちゃ嬉しくてでも、行けなかったのが悔しかった。

ジャムもレポをみてただけ。グッズだけは買ってきてもらっていた。わたしは、学校では関ジャニ∞のグッズを代行する人で数年間過ごしていた。

 

運動会のクラスTシャツではもちろん背番号8を勝ち取った。運動会の準備でジャムのTシャツを着ていたら、後輩の男子も同じのを着ていてびっくりした。作業の時ツナギも着ていたのだが、つなぎの背中には字が上手な子に「関ジャニ∞」と書いてもらった。

運動会ではオタク同士でそれぞれの推しのツアータオル持って写真を撮った。

 

 

 

2018年

大学1年。いろいろあった。めちゃくちゃ泣いた。

http://srss8888.hatenablog.jp/entry/2018/09/04/230627

http://srss8888.hatenablog.jp/entry/2018/09/05/005430

2018年、当時19歳のわたしが頑張って書いてるものを…

 

 

2019年

http://srss8888.hatenablog.jp/entry/2019/08/03/144524

http://srss8888.hatenablog.jp/entry/2019/09/06/114238

十五祭の話とめちゃくちゃ途中のブログを…

この年もいろいろあった。それぞれのスピード感に追いつけなくて、子供のようにキレてた時期もあった。情け無い。

 

大倉くんのプロデュース業が始まってからすぐは関ジュに全くもって興味がなかったものの、関ジュの勢いに押されて興味が湧いてくる。(ミーハー)

この年に康二がSnowManに加入するのだが、この時にこのSnowManって高校の時の友達が好きだったSnowMan!?と点と点がつながり、1人で盛り上がっていた。

そしてSnowManにもハマったのである。

 

 

2020年

モヤモヤしつつでも好きだし!と申し込んだ47はありがたくも当たり、コロナ前ギリギリで47ツアーに行くことができた。こんな田舎にこんなにも関ジャニ∞のファンがいたなんて!と思った。コンクールを見た場所で、関ジャニ∞見るなんて思わなかった。

コロナ禍は地味にしんどかったけど、関ジャニ∞の発信するものに救われていた。1番救ってくれたのは「窮鼠はチーズの夢を見る」だった。ツアーもなく遊びにも行けずで貯金が捗るかと思いきや、この年のバイト代はほぼ窮鼠につぎこまれた。雑誌は全部買ったし、前売り券を手に入れるために県外にまで遠出をした。映画は信じられない回数観た。

 

この年、ドリアイをきっかけにAぇにもハマる。たまたま友達のバイトが休みになり一緒に見たら一緒にハマった。

 

 

2021年

就活で病んでたわたしを救ったのは「着飾る恋には理由があって」だった。

この年初めて推しの舞台に行った。「夜への長い旅路」を観劇した。(正確には前にTEAM NACSの舞台には行っている) それまで舞台のチケットは高く、学生ではなかなか行けなかったが、コクーンに行きたくて渋谷に観に行った。就活もこれまでに終わらすぞ!!の気持ちでやっていた。

そして、5人のアルバムが嬉しかった。「関ジャニ∞でよかった」の言葉に心がギュッとなった。

長らくオタクやってるのに8BEATで初めての関東のコンサートにヤコバで行った。普通にしんどかった。

 

 

2022年

社会人になったわたしは、社会人のいろいろを振り翳し、18周年という関ジャニ∞独自のアニバーサリーを楽しんだ。

初めてのスタジアムも楽しかった。雨も降ったけど、日産のデカさに驚き、感動した。小机駅のことは多分ずっと忘れない。十祭ぶりのアンケートもわたしの推し曲は入っていなかったが、とても楽しんだ。

そしてドームツアー。社会人の財力で、一般発売でチケットを手に入れ全国を飛び回った。ないラブを完璧に踊ることに全力を注いでいた。

 

Aぇに関しては正門帝国や笑劇に行くことができ、友達とルンルンにオタクをした。正門帝国で松竹座デビューを果たすことができた。

 

 

2023年

社会人2年目。仕事に対する不満が増えてくる中、オタクだけは元気にしていた。Aぇの全国ツアーにも行けた。

春、キャンジャニちゃんに全力を注いで、ミーグリをした。15秒も自担の視界に入った、大変。

夏、メトロックに行けなかったのがずっと悔しかったが、やっっっとフェスに出る関ジャニ∞を見ることができた。

秋、前夜祭でコニファーに行った。まさか人生で富士山付近まで行くことがあるとは思ってなかった。

冬、来年20周年に対しての期待が高まった。

 

 

 

 

関ジャニ∞に対してわたし1人ができることなんて限られているが、

 

5人がずっと笑顔でいられますように

 

そんなことを願って、明日も元気にオタクをします。2024年は5人にたくさんハッピーがあるといいな!

 

 

 

最後ポエムみたいになってしまいましたが、長々とお付き合いいただきありがとうございました。